鬱と発達障害を持つMARVEL大好きマンの雑記

ついでに生活保護も受けてます。

障害持ちで生活保護を受けてる人間の人生 前半

自己紹介

 

初めまして。

私はオサムライと申します。現在25才の男性です。

そして、鬱と広汎性発達障害を患っており、某就労移行支援に通っています。

 

健常者だった、健常者だと思ってい私が鬱になり、広汎性発達障害だと診断されるまでをお話します。

 

 

私は沖縄に生まれ、21才まで沖縄に住んでいました。そこでは普通の学校に通い、普通にアルバイトをしていました。

(一時期強迫性障害と向き合う事もありましたが)

仕事内容がちょっとグレーなアルバイトをしていました(笑)

(グレーなアルバイトに関しては別の記事で紹介します)

 

そこから、グレーなアルバイトで100万円を貯め、埼玉に移住することを決めました。

理由は、暑さに耐えられなかったからです。

半分嘘です。

もう半分の理由は沖縄は世界が狭く感じてしまい、もっと広い世界へ行きたいと思ったからです。

 

以上の理由で移住することを決めました。

人によっては「薄い理由だな」と感じる方もいるかもしれませんが、これも僕の広汎性発達障害にかかわってくるのです。

この時はまだ、鬱にもなってないですし、広汎性発達障害とも診断されてません。

 

そして、埼玉に移住してからは苦労の連続でした。

極度の人見知りのくせにゲームセンターで働いて、毎日涙目になりながら頑張ったり、猫のブリーダーのアルバイトを始めたと思ったら、大量の猫の毛や埃で呼吸が難しくなったりましました。

そんなこんなしながらも短期でのアルバイトをこなしていました。

 

私はこの時にうすうす考えていました。

・人見知り激しすぎないか?

・なんで、ゲームセンターで働いたときに周りの優しい人たちのフォローもあったのに辞めてしまったのか。

・普通に働くってなんだろう?

ということを徐々に考え始めてきました。

 

そして、私があるデバッグ(バグを探しす仕事)をやる会社にアルバイトで入社した時のことでした。

その会社は1フロアに50人ほどがぎゅうぎゅう詰めになってパソコンをカチカチする職場でした。

また、チームになってデバッグをするのでコミュニケーションも大事でした。

 

私がそこで働き始めて思ったのがこれでした。

コミュニケーションが取れない……

人が多すぎる……

外に出たい……逃げたい……

 

こう思った時にはもう手遅れだったのかもしれないですね。

1時間おきにトイレに行き、深く深呼吸をして、辞めるタイミングを探していました。

このような心境の時に追い打ちをかけるようにあることを耳にしてしまいました。

 

ある日、私はある事務員に声をかけられました。

 

「オサムライさん、足を組まないでください」

 

「えっ?」

 

その時、私は足を組んでいませんでした。

納得はいきませんがその時は本当に私のことか確認してから、とりあえず謝りました。

その後仕事をしていると、その事務員が直属の上司の所に行くのを見かけたので無意識のうちに耳を傾けてしまいました。

 

「一応、注意はしておきました」

 

「謝ったの? 土下座するまで謝らせろ!」

 

この会話を聞いた瞬間私は恐怖に襲われました。

やってもいない事に土下座しないといけないのかと。

それと同時にその会社に対する信頼もやる気も一切無くなりました。

 

それで私は、その日のうちに土下座発言をしていた上司とは別の上司に辞めると伝え、辞めました。



それからというもの、職探しをしても、また上司にあんな事言われるのではないかと不安になり応募できずにいました。

自分ができる仕事、やりたいことを模索する日々でもありました。

 

しかし、徐々に考えすぎてきてしまった私は、普通に働くことができないのではないか? と考え込むようになり、自分に自信を無くしていきました。

日々自分を責めることで心は憔悴しきっていました。

包丁を手に持ってよからぬ事も考えるようにもなりました。

 

そんな日々が続いているとだんだんと引きこもりになり、声も出なくなってしまいました。

そして、さすがに自分はおかしいのでは? と思いやっと病院に行きました。

デバッグの仕事を辞めてから2か月ほど引きこもってました(笑))

 

近所にあるメンタルクリニックに初めての精神的な病院だったので、恐怖を感じつつも行きました。

 

そこで診断されたのが鬱でした。

私はやっぱりと思い、母にも速攻で連絡しました(笑)

母は「ゆっくり休んで」と言ってくれました。

それからは、薬を処方されて服薬を続けていました。

 

通院を続けていくうちに主治医からこんなことを言われました。

「もしかしたら、発達障害の傾向があるかもしれない」と

私はそんなに驚かなかったです。

なぜなら、今まで生きてきた中で、自分は周りと違うな、とか普通の事をしているつもりなのにみんなに笑われることがあったからです。

 

主治医にすすめられたテストを受けてみると、

広汎性発達障害という診断を受けました。

私の場合は見たものを記憶して、頭の中で再生する能力が高い代わりに、聞いて記憶する能力が低いと言われました。また、コミュニケーションが苦手なのも広汎性発達障害のせいだとも言われました。

(なんか、「俺は見たものを記憶して、再生する力が凄いのだ!」って能力者っぽくてかっこいいですよね(笑))

 

一気に話は進みますが、鬱と広汎性発達障害と診断されてから約5か月後、

私はいろいろなアルバイトに応募し始めました。

ただ、障害を開示しての応募だったので軒並みお祈りをくらいましたけど(笑)

 

そこで最終手段として、障害を伏せて応募しました。

そうするとなんと一発で受かりました。

やっぱり、障碍者って不利なんだなぁとここで実感しました。

 

新しいアルバイト先ではECサイトの運営をしていました。

そこでは、現在交際している方と出会うことができ、なかなかうまくやれていたと思っていました。

しかし、職場のある女性の性格の悪さがひどく、悪口を言われたり、無視されたりするなどをされ、このままじゃまた鬱になると思い、彼女と一緒に辞めました。

彼女がいなければやばかったかもです(笑)

 

辞めたと同時に自分の障害を彼女に泣きながら打ち明けました。

すると、彼女は泣きながら「一緒に居ようね」と言ってくれました。

 

それからは半年ほど家で職探ししたり、PCでちょっとだけwebライターとして活動したりしていました。

しかし、お金は無くなっていく一方で不安が募るばかりでした。

この間、彼女は普通に働いていたので羨ましかったです。

 

そして、お金が尽きた私はある手段を取りました。

次回、オサムライのとった思い切った行動とは?!

   そして、母からの運命の変わる一言とは?!